メニュー

作曲者別

ロベルト・アラーニャ  詳しいプロフィールと生立ち
        Roberto Alagna Profile



アラーニャの半生はなかなかドラマティックで、オペラを地で行く感じなのですが、日本語のサイトには殆ど出ていません。そこで、フランス語や英語のインタビューなどから私が拾い集めたエピソードをご紹介しようと思います。


※アラーニャの歌手としての紹介は、こちらのページをご覧ください
→ ロベルト・アラーニャ(テノール)

誕生〜少年期

ロベルト・アラーニャは1963年6月7日、パリ郊外のクリシー=ス=ボワで生まれました。ご両親はイタリアのシチリア島からの移民で、いわゆる”シシリアン”。お父さんは「家を建てる仕事(石工)」、お母さんは「劇場の衣装を縫製する仕事」をしていたそうです。

貧しくはないが贅沢はできない暮らしぶりだったそうで、フランス語を書けないご両親に代わって、ロベルト少年は10歳ころから書類の記載など、大人の役割をしていたそう。
年の離れた弟が二人と(後に作曲家・演出家、画家になるダヴィドと、フレデリコ)、妹(現在アラーニャのマネージャーをしている美人のマリネラ)がおり、彼らからみるとロベルト兄さんは、「いつもかっこ良くてヒーローだった」そうです。身体能力も高く、「小さい頃サーカス団から勧誘が来たが、お母さんが断った」という逸話もあります。

本人は「子供の頃はとてもシャイだった」と言っていますが、家の中ではいつも皆が歌を歌っているような家庭だったため、自然とロベルトも歌うようになります。彼が言うには「家で一番歌がうまかったのは、僕ではない」なのだそうです。(叔父さんが特に上手かったそう)
10歳頃にマリオ・ランツァが演じる映画「歌劇王カルーソー」を観て感激し、その頃からオペラは彼の密かな憧れとなります。

15歳の時にピザ店で歌ったのが、歌で収入を得た最初の経験でした。歌っていたのは当然オペラではなく、シャンソンやカンツォーネなどです。
その後毎晩のように観光客向けのパリのキャバレーで歌うようになり、可愛いロベルト少年は、夜のお姉様方のアイドルとしてとってもチヤホヤされたそうです。当然歌は抜群にうまかったのですが、「声がデカすぎて、うるさい」という苦情もしょっちゅうだったとか。

その頃のエピソードとして彼が語った話。マフィア風のお客に”囚人”とかいう知らない曲をリクエストされ、分からないと言っても札束を見せて迫られ、仕方なくバンドの人に2、3回弾いてもらって覚え、歌詞は後ろから囁いてもらって歌ったら、マフィアは涙を流して喜び、もう1回!と言われた・・・これが僕の人生最高の歌だ。(!)

後年彼は、「キャバレーは僕にとってとても良い学校だった」と言っています。
「毎晩夜中の12時から朝の6時まで、世界中の観光客相手に70曲を歌った。新しい曲をどんどん覚える必要があった。ディナーを食べながら聴いている彼らの興味をどうやったらひけるか、彼らが僕に何を望んでいるかを知ってそれに応える訓練にもなった」と語っています。



オペラ歌手へ

転機は17歳の時、歌を習っていた先生(キューバ人のラファエル・ルイス氏)に、「Tu es Tenor!」(君はテノールだ!)と言われたこと。彼にとっては、まさに青天の霹靂でした。「君は必ず一流のオペラ歌手になれる。私を信じなさい。タバコをやめて、仕事をやめなさい、キャバレーもやめなさい」

彼はその「気違いじみた」言葉に従い、オペラの猛勉強を始めます。実際には昼の仕事(会計士)と、夜の歌の仕事もしながらの勉強だったので、それは大変だったでしょうけれど、彼はその頃のことをbeautiful lifeと表現しています。夢を追っていた時期、ということでしょう。

歌う練習だけでなくレコードなどでオペラを聴きまくって勉強したそうで、今も自宅にはオペラマニアさながらの膨大なディスクのコレクションがあるそうです。先日YouTubeで見たフランスのTV番組で、オペラ歌手の声当てクイズがあったのですが(答える側は、アラーニャ、ナタリー・デッセイ、チェチリア・バルトリ、パトリシア・プティボンという超豪華メンバー!)、アラーニャが一人で正解しまくっていました。ジェシー・ノーマン、インヴァ・ムラ、シュバルツコップの3人を彼が正解。他にこれは簡単なパヴァロッティとフレミングは他の人が答えてたけど、それも当然わかっていたようなので、全問完璧。インヴァ・ムラはいつも共演してるから得だったけど、ジェシー・ノーマンやシュヴァルツコップは共演してるわけないから、若いころに繰り返し聴いたからでしょう。

しかしその当時から大そうな野望があったわけではなく、「母に、『あんたオペラ歌手になるつもりなの!?』と言われて、『いや、合唱団に入りたいんだ』と答えたのを覚えてるよ」と言っています。「僕は常に、他のすべての人は皆僕より上手い、と思っていた」とも。

20歳の頃から地元の小劇場や学校などでオペラをポツポツ歌うようになり、そんなある日パリのデパート(プランタン)でパヴァロッティのサイン会があり出かけて行きました。内気で自分をアピールできない彼に代わり、友人がパヴァロッティに「彼はとても良い声なんですよ」と紹介してくれたそうです。彼にとって神様のようなパヴァロッティに「君もテノールか」と言われ、「No,No,No,No!! I'm just a little boy・・・」と尻込みしますが、コンクールに来なさい、と言ってもらいます。

そして1988年25歳の時、アメリカで行われた”パヴァロッティ国際声楽コンクール”に参加します。しかしアラーニャはそれを「プライベートなオーディション」だと思っていたそうで、公式のコンクールとは知らずに何の準備もせずに行ったそうです。彼の直前にはチェチリア・バルトリが素晴らしいアリアを歌っていて、慌ててロッシーニのダンツァを選んだ彼は、数フレーズ歌ったところでパヴァロッティに止められ、「サンキュー、バイバイ」と言われたそう。

なんてこった、金もなければ運もない、とバーでやけ酒を飲んでいるところへ一人のレディーが来ました。
「ブラボー!」
「???」
「あなたは最終選考に残った」
「???」
「大丈夫、ルチアーノはテノールボイスを良く知っているから」
それはパヴァロッティの奥さんだったそうで、こうして優勝し、オペラ歌手としての人生が唐突に始まるのです。

初めての本格的なオファーの電話が鳴り、冬曇りのパリを発って地中海の陽光輝く町へ、前途に向かって出発した時の高揚した気持ちを、後に懐かしそうに語っています。

最初は椿姫のアルフレードが主な役どころでした。若々しく甘い声で、ラテン系の純情一途な美青年、といった風情の当時のアラーニャは、本当にアルフレードにピッタリです。(下に動画のせてます) 彼はこの役を、世界中で150回以上歌ったそうで、日本でも1990年10月に佐藤しのぶと歌った映像が残っています。(バブル期の東京で、素晴らしい佐藤しのぶと、可愛らしいアラーニャとのとても貴重な映像で、CDにもなっています)

その頃のアラーニャは、声は素晴らしく甘いけれど、歌い方はちょっとムキになったいかにも若く青臭い感じで、アリアの後に拍手とブラボーが止まなくても、じっと神妙にしているところがとても可愛いです。



最初の結婚

同時期に彼はフロランスと最初の結婚をします。可愛い一人娘オルネラも生まれ、オペラ歌手として順調に歩み始めた矢先、「空を飛ぶほど幸福だった」というその時に、悲劇は起きます。シチリア島に遊びに行っていた時に、頭が痛くて辛い、という妻の訴えに、急ぎパリに戻り病院に行くと、なんと、脳腫瘍で余命3か月との宣告を受けたのです。

ショックで言葉も出ない彼は、しかしオペラ歌手としてスタートしたばかりで、次々とオファーをこなしていた時期です。どんなに辛かったかは、ずっと後年になっても「完全に心が壊れた。その後は、どんなに幸せな時でも、決して100%の幸福にはなれない」と言っています。

3か月の宣告に反し、フロランスは1年半病と闘ったそうで、アラーニャは病院に泊まってそのまま劇場に行くような生活が続いたそうですが、1994年に2歳の娘を残して夭逝します。歌手だったという彼女がどんな女性だったのかはわかりませんが、今ちょうど年頃の娘オルネラが素晴らしい美人なので、お母さんもそうだったのだと思います。

亡くなって数週間後という、ROHでのロメオとジュリエットの映像が残されていますが、その毅然とした歌唱はまったく美しく哀切で、カーテンコールで大喝采を浴びながらも笑顔が悲しそうな姿は、何度見ても涙が出ます。この公演でローレンス・オリヴィエ賞などいくつかの賞を受賞し、名声を確立してゆきます。

その頃の彼の主な役にボエームがありますが、この恋人を結核で亡くす若者の役を歌うことは、「妻の死を乗り越えることを助けてくれた」と後に語っています。



アンジェラ・ゲオルギュー

それと前後して、彼は2番目の奥さんアンジェラ・ゲオルギューと運命的に出会います。
最初に会ったのは、1992年のロンドンROHのラ・ボエームで、ミミとロドルフォとして。

リハーサルに少し遅れて行ったアラーニャは、扉の裏で素晴らしいソプラノの歌声を聴いて感激し、さらに扉を開けてアンジェラを一目見て、それは驚いたそうです。愛らしい茶色い瞳に一目で恋に落ち、アンジェラの方も同じだった(ということになっています)。

言葉にはしなかったけれど、ステージ上で手を取り合い見つめ合い歌うことで、お互いに言葉では表せない感情を伝えあった、彼女の傍にいるのが喜びだった、と。

しかしその時は、まだフロランスと幸せな家庭を築いていた時で、アンジェラの方も別の一般男性と結婚していました。(ゲオルギューという姓は、この最初の夫の姓です)

なので、恋心を抱きつつ、「もうこの娘とは一緒に歌わないようにしよう」と決めて、マネージャーにもそう言って実行したのだそうです。(ホントか?)
しかし、奥さんに先立たれて失意のロベルトの許をアンジェラが訪れ(この時、奥さんの訃報をアンジェラに伝えたのはナタリー・デセイだったとの説あり)、その後のことを彼はこう語っています。

「あるパーティでアンジェラと共に楽しい時を過ごした。明け方の5時頃一人で家に帰ってきて、淋しさに胸が潰れ、気が狂ったように泣いた。どうすればいいんだ、彼女なしではとても生きていけない・・・。6時頃ベルが鳴るのでドアを開けると、そこにアンジェラがいた」

これについては、アンジェラの方もほぼ同じことを言っています。(彼女は7時と言っていますが、いずれにせよ早朝だったのでしょう) 夫と別れてアラーニャと生きる決心をして訪れたのだそうです。ロベルトが彼女の夫に電話をすると、「アンジェラも一緒なのか?」と聞かれ、それで彼はすべてを了解しました。
(ゲオルギュー氏がどんな人なのかは全然わかりませんが、妄想的にはバリトンで、ウェルテルのアルベールみたいな? それにしてもこんな理解のいい夫って滅多にいないわよね)

二人が1996年メトのボエームの公演中に、その舞台裏で当時のニューヨーク市長ジュリアー二氏の立会で結婚したのは有名な話ですが、実際はその前日にジュリアーニ氏が書類を忘れたために、急遽メトの幕間に行われたのだそうです。

アンジェラは、卒業やプロデビューのきっかけもボエームだったそうで、「ロベルトと出会ったのもボエーム、ロベルトと結婚したのもボエーム」と、すべての転機はボエームだったと嬉しそうに言っています。隣にいたアラーニャが、「きっと死ぬ時もボエームだよ」と言ってみんな大笑い、アンジェラも「いいアイデアね!」と喜んでいました。
(※2013年追記:そしてそのジンクス通り、二人の夫婦最後の共演が2012年6月のROHでのボエームとなりました。2013.1.3離婚を発表)

その後二人は、殆どの仕事を一緒にするようになります。オペラ界のゴールデンカップル、ロミオとジュリエット、と呼ばれ(時にはボニー&クライドと揶揄される場合もありましたが)、その見事に息の合った素晴らしい歌唱は、名盤CD、DVDとして山ほど残されています。「私たちのレパートリーが殆ど同じだったのはとてもラッキーだった。バリトンとではこうはいかないから」とアンジェラが言っていますが、本当に二人の共演は華があります。

二人の共演は、全曲録音だけでも(CD録音とライブDVD)、ボエーム、トスカ、愛の妙薬、ウェルテル、ロミオとジュリエット、マノン、友人フリッツ、ファウスト、イル・トロヴァトーレ、カルメン、ロンディーヌ、マリウスとファニー、など本当に数多く、どれも瑞々しく青春の香り高い、素晴らしい歌唱です。

常に夫婦で共演をしていたことは、興行的な理由と思われがちですが、実際はそうではありません。世界中のオペラハウスを飛び回る生活をしていたトップスター同士の二人が、幼い子供を抱えて、「家族」で居続けるためには、同じ仕事をすることで時間を共有するのが、唯一の現実的な解決策だったのです。

実はその頃、アンジェラの方にも悲劇が起きます。とても仲良しだった妹が突然自動車事故で亡くなくなり、その夫も5年後に亡くなったのです。妹(エレーナ・ダン)は、下に動画を載せた1996年の愛の妙薬にアンジェラとアラーニャと共にジャンネッタ役で出演しており(アンジェラと見間違うほどそっくりなのですぐ判ります)、なんと亡くなったのはその上演のすぐ後なのだそうです。
この悲劇が原因しているのか、アンジェラのお父さんはその後、修道僧の道を選び、家族とは離れて修道院で別の世界に生きているのだそうです。

エレーナにはイオアナという幼い娘がおり、遺児となった彼女をアンジェラが引き取ります。アラーニャの娘のオルネラと歳も近く、姉妹のように育ったようです。(もっとも、どの程度彼らが育児に関われたのかは定かではありませんが)
アンジェラはこのイオアナを溺愛しており、イオアナにとっても大切なお母さん。彼らとイオアナとオルネラは、4人家族なのです。



スカラ座事件

その間、有名な「スカラ座事件」があります。2006年スカラ座のアイーダで、開始早々の「清きアイーダ」を歌い終わった直後に天井桟敷から激しいブーイングを浴び、そこで舞台を降りてしまった件。
スカラ座というのは特殊なオペラハウスで、天井桟敷に陣取る常連が発する非情なブーイングは、過去にも多くのスター歌手や指揮者をも追い落としてきました。かつてはマリア・カラスやパヴァロッティもブーイングを浴びていますが、最近ではバルトリ、フレミング、ベチャワ等も被害にあい、もうスカラ座では歌わないと宣言したり、心的後遺症を告白している歌手が何人もいます。

アラーニャの途中退場は確かに大人げない行動ではありますが、彼としては、「音楽」の場でそういった攻撃的な行為があること自体に我慢がならなかったらしく、確かにその後の経緯を読めば読むほど、どうしてそんな非常識な行為が世界トップのオペラハウスで許されているのか、理解に苦しみます。オペラ界の悪しき風習への捨て身の抗議だったのでしょう。

それ以来、スカラ座は「出入り禁止」と言われていますが、実際はオファーはあったものの、アラーニャが「スカラ座で歌うくらいならシャワールームで歌う方がましだ」と蹴ったとか。歌をひたすらに愛し、聴衆からのアプローズのためだけに生きているような彼ですから、そんな闘牛場のような劇場であえて歌う必要はないでしょう。
(※2014年追記:新総裁のもとブーイング対策に乗り出したスカラ座から、2014年にもアラーニャに再三のオファーがありましたが、結局アラーニャから断っています)

アラーニャは喜ばれるならいつでもどこでも歌う、というスタンスで、TV番組はもちろん、インタビューの合間や取材でのタクシーの中、路上、山の中、酒場・・などなど、どこでも気安く歌う。普通のオペラ歌手はそんなとこでは絶対歌いませんから、そこが逆にキャバレー出身の彼のプライドなのだと思います。歌とはそういうもの。歓びのため、人との心の交流のために歌う、と。
「I love to sing. It's my life. I sang all my life」と言っていましたが、この短い言葉が彼のすべてだと思います。



いくつもの葛藤と共に

アラーニャは元来とても明るく陽気な気質で、共演者やファンにいつも愛されています。身近に接しているフランスのファンは、彼の素顔を表現するときに、よく「太陽のような」とか、「素朴さ(サンプリシテ)」という言葉を使います。
しかし、その明るさと同時に、いくつもの心の傷や葛藤を抱え、それと闘って生きてきた人生でもありました。

最初の葛藤は、移民の子として生まれたこと。
「フランスで生まれたにも関わらず、フランス人から見ると僕はイタリア人だった。しかし恋しいイタリアに行ってみて気付くのは、フランスの文化で育った僕はイタリア人でもないということ。イタリア人でもフランス人でもない、どこに行ってもエトランゼだった」という思いはずっと続きます。若い頃は「名前をきかれて、ロベールと応えることもあった」そうです。

しかし、2005年の独立記念日に、軍の式典で国歌(ラ・マルセイエーズ)を歌うことを依頼され歌ったとき、「はじめて自分はフランス人であると心から感じた。この日は僕にとってとても大切な日」と語っています。
「でも、それと同時に自分のルーツであるイタリアを忘れないためにも、シシリーの歌を歌う」とも。スカラ座の攻撃があんなにも彼を傷つけたのは、そこが片思いの祖国イタリアであったことが大きな理由であることは間違いないと思います。

2番目は、キャバレー出身のオペラ歌手であること。コンセルヴァトワール卒の歌手ばかりのオペラハウスで、「僕はモンスターのように見られた」というのも無理からぬことかもしれません。今でもインタビューの度に必ずそのことをきかれるけれど、根気よく答えていますね。
まあ、このことは、コンプレックスというよりも彼の武器であると思うし(アラーニャ独特の歌い回し、情感豊かな歌心、リズム感とディクションの良さ、瞬時に切り替わる裏声など)、実力で名声を得た今は、もうこのことで差別する人もいませんが。

そして3番目は、奥さんの死。これだけは何年たっても癒えることのない心の傷として、彼の人生観を変えてしまっている。
「妻に死なれてよくわかった。この世で『物』には何の価値もない。大切なのは、人と人との心のつながりだけだということ」と。そしてまた、「僕は完璧な幸福は望まない。幸福すぎると必ずその後に来る悲劇が怖い。人生はほどほどに幸せでよい」とも言っています。
悲劇を経験しているからこそ、自分にとって人生で大切なものはとてもよくわかっている人だと思います。



離婚騒動(1)2009年

アンジェラとの第1回の危機は、2009年にアンジェラが自身のホームページで突然離婚声明を出したこと。その時アラーニャはカルメンの公演中で、カルメンに「俺を捨てないでくれ!」と迫る演技が真に迫っていると巷の噂に・・・

アラーニャの方は別れる気など全くなかったので、必死でなだめすかしました。離婚騒動真っ最中のインタビューでも健気にこんなふうに言っています。「アンジェラは僕のエンジェル。彼女は僕を救ってくれた。彼女がいたから歌い続けてこられた。今は彼女の意思を尊重し、受け入れる。でも、僕は永遠に彼女を愛する」

そして連日のお電話攻勢で復縁を訴え、アンジェラの公演先にジェット機で飛んで行っては愛してると繰り返し、その甲斐あってアンジェラ様のご機嫌も直って元通りになりました。アンジェラ様は「二人が離れていることは、とてもバカげたことだと分かった」とおっしゃっています。

アンジェラがその時愛想をつかした理由は、これは憶測でしかありませんが、アラーニャが自分の家族(実家の)を大切にするあまり、自分がおろそかにされるのが不満であったことや、ダヴィドの作曲や演出の作品にかりだされることは、かなりイヤだったらしい。でも、それだけであの仲良し夫婦が別れるとは思えないので、やっぱりアラーニャの方が何か「悪いこと」したのかな?

ちなみに、最近のインタビューでアラーニャがこんなことを言っています。「アンジェラにこう言われるんだ。”あなたは本当に変わってるわね。普通の男の人が興味を持つような、車とかスポーツには全然関心がないし、お酒もギャンブルもやらないし。まあ、女だけね”ってさ(笑)」。さすがはイタリア男です・・・

復縁後も当初は「もう共演はしない」と言っていました。アンジェラは「いつも彼とだけ歌いたくて彼と結婚したわけではない」と言い、アラーニャも「二人で演ることは、責任感もダブル、苦労もダブル、疲れもダブル」と言っていて、もう共演は見れないのかな、でももうさんざん見たからいっか〜、と思っていたのですが、1年もせずに一緒に歌いだします。そしてやはり二人で歌うことで、特別の輝きを放つことを再認識させられます。

アラーニャの明るい輝くような声と、アンジェラのベルベットのような柔らかな声は、なんと合うことでしょう。やっぱり二人のデュエットがベスト、二人の声が溶け合った時の響きがいちばん美しい、と改めて思いました。

ラブシーンも、やはり本物は違います。そもそも彼らの演技は、日本人なんかのぎこちない(見ちゃいられない)ラブシーンとは較べようもない堂に入ったものですが、それでもアンジェラとの愛し合っている者同士の演技と較べると、他の歌手とはいかに遠慮し合ってるかがよくわかります。(アラーニャも、アンジェラと演るメリットのひとつがラブシーンがやりやすいことだ、と言っています)

アラーニャは「僕たちはお互いの鏡像」とまで言っていて、まさに一心同体。二人だけが解り合える感情があり、かけがえのない同志なのだと思います。
アンジェラは復縁後に、「彼は特別。あんな人は他にいない。二人が共に引退したらペットを飼うのが夢。私は犬が飼いたい。ロベルトは馬と言ってるわ」と言っていて、愛のストーリーは永遠に続くと思われました。



離婚騒動(2)2013年  (※2013年追記)

しかし、「中年の危機」を乗り越え、仲良く老後を待つのかと思われた矢先に突然終わりが来ました。経緯をつぶさに目撃していたので、長くなりますが書き連ねてみます。

2012年6月ROHボエームで「出会い20周年」のお祝いを盛大にやった時にはとても仲良さそうだった二人でしたが、7月、アラーニャがオランジュで声が出なくなり苦戦していた時にアンジェラはルーマニアの楽しい休日の写真をFBにアップしていて、?マークが一つ。
さらに8月9月とアラーニャは不調でキャンセル続きだったのに、まったく会っている気配がなく、アンジェラがインタビューで共演者の名を言う際に「ロベルト・アラーニャ」と他人のように冷たく言っているのを聞いて、さらに??。

そしてトドメは10月末のROHガラコンサート、4か月ぶりの共演だったのに二人はまったく一緒には登場せず。アラーニャは歌は絶不調で笑顔はいっさいなく、さらになんと女王陛下御降臨のカーテンコールにも現れなかった。(アンジェラは笑顔で女王様と握手し、その後のパーティにも出てた)
この時点で二人に何かがあったのは明らかでしたが、こんなに暗い様子で、2週間後に始まる愛の妙薬ができるのか、とそれが心配でした。

ところが11月の愛の妙薬のリハから本番にかけて、ロベルトはみるみる精気を取り戻します。声も表情も見違えるように明るくなり、チームが仲が良く、相手役のクルザクとも食事に行ったりしてるという話を聞き、ああ、彼女が癒してくれたんだな、と容易に想像できました。もっともその時は共演者として仲がよいのだとばかり思っていましたが、でも二人の息もぴったりで、心の通った温かい歌声は感動的でした。アラーニャの喜劇役者に徹した捨て身の演技と、クルザクのおきゃんな可愛いらしさは、何とも楽しくホノボノしたいい味を出していました。

しかしその後聞こえてくる噂は、アンジェラがクリスマスもルーマニアで過ごす予定で、結婚指輪をしていないということ、さらにはロベルトもROHガラの後、指輪を外した、ということ。愛の妙薬の後、12月にメトでアイーダをやっていたロベルトは、クリスマスをNYで一人淋しく過ごしたのかとファンは心配していたのですが、しかし歳も押迫った年末に1枚の写真が皆を仰天させます。

FBに唐突にアップされたその写真は、ラダメス衣装のアラーニャにクルザクがぴったり寄り添っているツーショットで、一目で二人の関係が理解できる優れた(?)写真でした。
共演者とのツーショットは飽きるほど見てきたけれど、こんなのは見たことない。たった1枚の写真でしたが、アラーニャの決意と、彼女を思いやって公表したのであろうことがすぐにわかりました。

そしてその4日後、アンジェラから離婚が発表されます。「お互いそれぞれの道を歩むため、完璧な友情をもって離婚を決めた」と。やはり捨てたのはアンジェラの方だと思います。たぶん嫌いになったわけではないだろうけど、ルーマニアでの自由で楽しい暮らしを知ってしまって、またせっかくの休暇に、アラーニャの予定に合わせてフランスの田舎町のホテルを転々とすることなど嫌になってしまったのではないでしょうか。

ROHガラの後、愛の妙薬直前にアラーニャがインタビューで「アンジェラは家で休暇を楽しむことを好むが、僕はそういう幸せは望まない」と言っていたことが唯一の彼の弁。たぶんアンジェラは、歌しか頭にない忙しい彼と過ごすことよりも、ルーマニアで自由に自分のために生きることを選んだのだと思います。ずっと「僕は永遠にアンジェラを愛する」と言い続けていたロベルトも、どんどん遠くなっていくアンジェラに、ついに諦めたのでは。

そして傷心のロベルトは、クルザクと一瞬で恋に落ちたらしい。後からYouTubeに出た愛の妙薬の映像を見ても、二人の仲の良さ、熱々ぶりは、まさに「愛の妙薬」の効果テキメンと驚くばかりで、こんなにもお互いぞっこん、という様子は感動的ですらあります。ずっと若いクルザクが、アラーニャを慕って夢中になってる様子が可愛らしいし、若い恋人を得て生気が甦ってるアラーニャも微笑ましいです。

「あまりに急な展開で受け入れられない」というファンもいますが、ずっと観察していた者としては十分納得できるし、むしろ愛し合っている二人の姿は嬉しく幸せな気持ちにさせられます。
どうか二人が幸せになりますよう。もちろんアンジェラもね。

(※追記:2013.5.14に正式に離婚が成立しています。クルザクは2014.1.29に女の子Malèna Alagnaをご出産、2015.11.16に正式に結婚しています。2014.3月の2人のインタビュー記事を訳していますので、こちらのブログをご覧ください)



ポピュラーソング(シャンソン・ポピュレール)

ところで最近アラーニャは、オペラ以外にもシシリアン(シチリア民謡)や南米音楽、シャンソンなどのポピュラーソングを盛んに歌っていますが、これは別に大衆に迎合するためでも、流行りのクロスオーバーをやろうとしたのでもなく、歌いたくて歌っているのです。元々キャバレーで歌っていた歌であり、彼のルーツ。

「フランス人でもシシリア人でもないエトランゼの僕が、自分のアイデンティティーを表すために、これを歌うことが必要なんだ」と言っています。

シシリアンのCDを出した時には、ご両親は泣いて喜んだそうだし、ルイス・マリアーノは、彼が若い時に憧れていた歌手。ずっと歌いたいと思っていたけれど、周囲から「オペラ歌手の地位を確立するまでは歌うべきでない」と止められていたのだそうです。

よくある、オペラチックな歌い方のポピュラーではなく、「本当にオペラ歌手?」と私でも思ってしまうような全く別の発声で、完全に歌い分けています。しかし、シシリアンなどの歌心たっぷりの節回しを聴くと、オペラでの彼独特の情感たっぷりの歌い回しが、これらを歌った経験からきていることはよくわかります。

「僕のキャリアの9割はオペラ。でもポピュラーを歌うのは、新鮮な空気を吸うこと。これを歌うことが、僕がテノールとしてのキャリアを継続する力を与えてくれる」

これだけオペラ界のトップスターになっても、若い頃の歌心を忘れないのが彼らしい。
「I love to sing. It's my life」と言う彼の、歌への思いは、すべて歌声に表れています。



動画集(フランスオペラ以外)

※以下はフランスオペラ以外の動画を載せています。フランスオペラはこちらでどうぞ → ロベルト・アラーニャ(テノール)


●椿姫 1990年 東京 佐藤しのぶ
画質・音質は悪いですが貴重な映像です。



●ヴェルディ 椿姫 1992年 スカラ座 (指揮:ムーティ)
なんと甘い美青年。立ち姿も美しいこと! 椿姫も美人で素敵ですね



●ヴェルディ リゴレット(全曲) 1994年 スカラ座  指揮:ムーティ
若く声が面白いように出ていた頃。高慢なマントヴァ公もはまってますね。ジルダ役のアンドレア・ロストが可憐で美しい!リゴレットはレナート・ブルゾン



●プッチーニ ラ・ボエーム 1995年 パリ 
若くて青くて、切ないロドルフォ。ヴァドゥヴァの愛らしくいじらしいミミ。まさに青春の香りです。
・「なんて冷たい手」



●ドニゼッティ ランメルモールのルチア(全曲) 1995年 パリ avecジューン・アンダーソン
パリ・オペラ座名物、ヘンテコリン演出ながら歌は素晴らしい。



●ドニゼッティ 愛の妙薬 1996年 リヨン歌劇場
純情でちょっとオツムの弱いネモリーノが、とっても似合っていてなんと可愛いこと!
アンジェラとの掛け合いも絶妙で、それは初々しいカップルで、何度見ても笑ってしまいます。結婚の直前の公演です。



●マスカーニ 友人フリッツより チェリーデュエット
新婚の頃。こんなに愛情溢れる温かな幸せなデュエットはありませんねえ。



●ヴェルディ ドン・カルロス(仏語版) 1996年 シャトレ座 指揮:パッパーノ
これも名演、若いドン・カルロスの凛々しいこと!
年くってから伊語版のドン・カルロをキーンリーサイドとやった映像もありますが、伊語版と仏語版ではだいぶ違っていて、英雄的な伊語版に対し、仏語版はロマンティックでとても美しいです。

カルロスとロドリーグの2重唱   アラーニャとハンプソンの愛溢れるデュエットです。
カルロス君は若くて青くて、甘えん坊風なとこも可愛くて、声も甘い!!



●プッチーニ 蝶々夫人 2重唱 2000年 指揮:シノーポリ
なんと豪華で上質なコンサートでしょう。伊達男風アラーニャの朗々たる歌いっぷりは、これぞザ・テノール。アンジェラも文句なしディーヴァで、夢のようなデュエットです。オペラの中でも最高に官能的なこの曲、大好きです。



●プッチーニ トスカ 全曲 映画版 2001年 (指揮:パッパーノ)
名作映画です。アラーニャもゲオルギューも超美貌の頃で、映像的にも最高です



●ランメルモールのルチア(仏語版) 2002年 リヨン  with チョーフィ



●プッチーニ ラ・ボエーム全曲  2005年 オランジュ音楽祭
二人とも、最高のハマり役だ〜 何度見ても、泣かずにはおれません・・・!



●イル・トロヴァトーレ 2007年 オランジュ音楽祭
40代になっても声も姿も美しい。凛々しいマンリーコも意外に合っていた!



●マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ 2009年 オランジュ音楽祭
この曲、間奏曲が有名だけど、私は前奏曲が大好きです。アラーニャの歌うシチリアーナ「おおローラ」はまさに彼の血の歌!彼ほどこの歌が似合う人はいないのでは?(舞台裏からハープにのって歌うシチリアーナは鳥肌もの)
ストーリーはドロドロだけど、音楽は本当に美しいですね〜 我らがプレートル爺さんの渾身の指揮ぶりも大変感動的です。



●プッチーニ   ラ・ロンディーヌ  2009年 メト
これが有名な(?)リアル泣きの演技。実生活でも彼女が去ってゆく気配を感じていたからでしょうか・・・
しかしカルメンにしてもこれにしても、彼ほど「俺を捨てないでくれ!」の台詞が合う人もいません。アラーニャは絶対英雄的な役より、こういう役のが魅力的。
ラスト、涙でビショビショになりながらも頷いて彼女の手を放つ姿は、演技とは思えない、彼そのものです。



●ロンディーヌ 2幕フィナーレ
「この大好きな曲をどうしてもロベルトと演りたかったの!」とアンジェラが言っていましたが、二人の愛情溢れるシーンの数々は、二人でしかあり得ない宝物のような映像です。
この作品はアンジェラの十八番で、同じ演出で他のテノールとの映像もいろいろありますが、やっぱりアラーニャは全然格が違う!普段はちとタカビーなアンジェラも、完全にアラーニャを信頼して身を委ねきってるとこがとても可愛いです。泣いてるアンジェラのとこにアラーニャが来てくれるシーンもいいですね〜

ボエームと椿姫と、こうもりを足して3で割ったような作品で、本当にいい曲ですね。 特にこの4重唱は、華やかさと哀愁が混ざったなんとも素敵な曲。ブッフォ役の二人も上手くてハマり役で、とっても盛りたててくれてます。
この時はアラーニャの声の調子はけして良いとはいえなかったですが、でも心のこもった歌と演技で補って余りあります。



●上記ロンディーヌのアリアとその元歌。アラーニャ絶頂期の甘い美声で。胸が痛くなる名唱です。



●ザンドナーイ 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 全曲
2011年 パリ・オペラ座  究極官能美のオペラです。



●ポピュラーから(1)  requiem pour un fou
彼のフランス語のシャンソンは素晴らしく、このジョニー・アリディのフレンチ・ロック、Requiem pour un fou は必聴です。 オペラを歌う時の発声とはまるで違っていて、とてもオペラ歌手には見えませんが、別の意味で惚れ直します。
曲がまた彼に合ってますね〜 愚か者のレクイエム。現代版ドン・ジョゼって感じ。



●ポピュラーから(2)(3)  「ヌ・ム・キテパ」 と、「マラゲーニャ」
アラーニャにピッタリのシャンソン、ヌ・ム・キテパ(捨てないで)と、超絶得意技の素晴らしいファルセット(裏声)が響き渡るマラゲーニャ、この2曲は彼の歌心そのもの。
歌が好きでたまらないアラーニャの素顔が表れているとても素敵なビデオです。



●ポピュラーから(4)  La Llorona(ラ・ジョローナ) これは絶品ですな。



●2006年 Samedi soir (フランスのTV音楽番組) アラーニャ特集
2時間たっぷり、アラーニャ&豪華ゲストで歌とトーク。ご家族も総出演で、彼の素朴な人柄が垣間見えます。
アンジェラも出て歌ってくれてて、口あけて見惚れてるロベルトが泣ける〜



●2014年 Vivement Dimanche(フランスのTV番組) アラーニャ特集
上記から8年後の同じような番組です。オペラ歌手のキャリア30年、でもまだまだ、これからですよ。



●2015年 "Ma vie est un Opéra"(私の人生はオペラ) アラーニャドキュメンタリー








▲ページトップに戻る

・ メニュー ・

トップページ

フランスオペラ ベスト5
ファウスト(グノー)
ホフマン物語(オッフェンバック)
カルメン(ビゼー)
ペレアスとメリザンド(ドビュッシー)
ウェルテル(マスネ)
他にも名曲が・・・
ロメオとジュリエット(グノー)
マノン(マスネ)
タイス(マスネ)
真珠採り(ビゼー)
ラクメ(ドリーブ)
ハムレット(トマ)
華麗なるグランドオペラ
トロイアの人々(ベルリオーズ)
悪魔のロベール(マイアベーア)
アフリカの女(マイアベーア)
 (別名:ヴァスコ・ダ・ガマ)
ユグノー教徒(マイアベーア)
ユダヤの女(アレヴィ)
サムソンとデリラ(サン=サーンス)
ル・シッド(マスネ)
エロディアード(マスネ)
ウィリアム・テル(ロッシーニ)
知られざるフランスオペラ
ミニョン(トマ)
美しきパースの娘(ビゼー)
ベアトリスとベネディクト(ベルリオーズ)
ベンヴェヌート・チェッリーニ(ベルリオーズ)
ミレイユ(グノー)
イスの王様(ラロ)
ドン・キホーテ(マスネ)
サンドリヨン(マスネ)
20世紀のフランスオペラ
ルイーズ(シャルパンティエ)
アルテュス王(ショーソン)
ペネロープ(フォーレ)
スペインの時(ラヴェル)
子供と魔法(ラヴェル)
カルメル会修道女の対話(プーランク)
シラノ・ド・ベルジュラック(アルファーノ)
アッシジの聖フランチェスコ(メシアン)
マリウスとファニー(コスマ)
フランスのオペレッタ
天国と地獄(オッフェンバック)
 (原題:地獄のオルフェ)
美しきエレーヌ(オッフェンバック)
パリの生活(オッフェンバック)
ジェロルスタン大公妃(オッフェンバック)
ラ・ペリコール(オッフェンバック)
エトワール(シャブリエ)
いやいやながら医者にされ(グノー)
番外編(オペラ以外)
キリストの幼時(ベルリオーズ)
ファウストの劫罰(ベルリオーズ)
ロメオとジュリエット(ベルリオーズ)
レリオあるいは生への回帰(ベルリオーズ)
放蕩息子(ドビュッシー)
ロメオとジュリエット(ミュージカル)
ノートルダム・ド・パリ(ミュージカル)
シェルブールの雨傘(ミュージカル)
パリの喜び(バレエ)オッフェンバック
フランスオペラの名歌手
ナタリー・デセイ (S)
アンナ・ネトレプコ (S)
サビーヌ・ドゥヴィエル(S)
ニコライ・ゲッダ (T)
グレゴリー・クンデ (T)
ロベルト・アラーニャ (T)
ブライアン・イーメル (T)
ジョゼ・ヴァン・ダム (B)
その他の歌手(女声)
その他の歌手(男声)
その他
日本語字幕付き全曲オペラ動画
フランス語のイタリアオペラ
バレエシーン in グランドオペラ
オランジュ音楽祭
オペラ用語辞典
オペラ初演年一覧
オペラQ&A
カラオケ de フランスオペラ
プロフィール
お問合せ
リンク集

▲ページトップに戻る 

inserted by FC2 system